京アニ事件の初公判がはじまり、事件について犯人について再度、注目が集まっている。
そんな中、時々 見られるのは犯人をかばうような発言をする人だ。
犯人の過去を調べて見ると、なるほど。家庭環境は悲惨と言ってもよいだろう。
「周りが支えていれば」「本人のせいではない。家庭が悪い」「運が悪かった人」そう思って同情する気持ちもわかる。
わかるが、考えてみてほしい。一番の被害者は誰かを。
当然、事件の被害者であり、被害者の家族だ。
被害者たちは周りに支えられながら夢を実現し、周りに夢を見せていた人々だ。
家族仲が悪い人もいただろうが、家族仲が良い人は、母の日、父の日、敬老の日などのイベントで何をプレゼントしようか? なんて考えただろう。
将来、自分の子どもに、自分の作ったアニメを見てもらいたい。なんて考えていた人もいたかもしれない。
そんな人が、特に何も悪いこともしていないのに被害にあった。
加害者の運が悪いというのなら、被害者たちのほうがよっぽど運が悪かったと言える。
家庭環境が悪かったからといって、人を傷つけてよい理由にはならない。命を奪うなんてもっての他だ。
被害者たちは、未来と可能性をすべて奪われた。
犯人のせいじゃない。犯人の家庭環境のせいだ。と、言われても、振り上げた怒りと悲しみの拳を、犯人の家庭環境に振り下ろすことはできない。
「家庭環境」「悲惨な過去」なんて、形もない「概念」が代わりに罪を償えるわけもないのだ。
犯人を叩きまくれば、被害者と被害者の家族が救われるか? というと、そうでもないだろう。
だが、 加害者に同情したり、かばったりするのは違うだろう。と、個人的には思う。