こちらにはウィッシュの批判が含まれています。
ウィッシュは素晴らしい作品だ!
ウィッシュを批判するなんて、絶対に許せん!
と、いう人は絶対に読まないでください。
読んだ後の批判は受け付けません。ご了承ください。
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なんか今更ながら、ディズニー100周年作品「ウィッシュ」を語ります。
と、いうのも、金曜ロードショーで実写版「アラジン」を見て、その素晴らしい出来に拍手を送ると共に、ウィッシュのダメさを思い出してしまったので・・・・。
なんでや・・・なんで、ウィッシュは「アラジン」みたいにならなかったんだ!!
一番の原因は、ヴィランであるはずのマグニフィコ王が、何をどう考えても賢王だったことだと思う。
努力して魔法の力を手に入れ、国を立ち上げ、国民の願いを受け取って、選別しながらも国民の願いを叶えてきて、国を豊かに繁栄させた王。
ちょっとナルシストなところや、傲慢なところもあったが、鏡に閉じ込められるという最後を遂げるほど「悪」だったかというと、もんのすごく疑問が残るキャラクターである。
願いを選別するのだって、危険リスク回避から考えれば当然のことだ。
願いを返さなかったのも、「叶えられない願いは忘れてしまった方が良い」という思うがあったのなら、理解もできる。
少なくとも、預かった「願い」がどうでも良いものだったのなら、雑に扱っていただろうが、それもなし。むしろ、大事に保管していた。
禁書に手を出して暴走してしまったが、これもアーシャが追い詰めたから。
もし、アーシャがスターという凶悪な力を手に入れず、「頑張って話し合えば分かり合えるはず」って方向性に向けば、まだよかった。
なにせ、王様は人の話しをちゃんと聞くし、秘密を知っちゃったアーシャに何もせずに帰しちゃう聖人なのだから。
だが、スターと言う力を手に入れてしまったアーシャは、「革命」という暴挙に。
後先、考えない活動家に力を与えてはいけない。と、いうことがわかる。
そして、国の平穏の中、王に感謝を感じていたはずの国民たちが、な ぜ か アーシャの歌で、ころっと心変わりの手のひら返し。なんでやねん。
最悪なのは、王妃。一番そばで王の努力する姿を見てきたはずなのに、「王の変化に気づけなかった」とか反省することもなく、王に対して「ざまぁw」とばかりに笑って王座をゲット。
こいつは、ほっとんど何もしていないのに・・・である。
なんでや。
アラジンみたいに、国を乗っ取って好き放題することを狙っている悪い大臣でも出してさー、王の秘書になったアーシャがそれに気づくんだけれど、人が良い王様は大臣に騙されててー、星に願ったアーシャが頑張って国民・王妃と共に大臣の悪事を暴いてー、王は「国民は強い。願いは国民に返そう」って感じで反省してー、国民も国民で「王様だけに頼っちゃだめだよね」って反省してー、最後は願い返してもらったおじいちゃんが歌ってハッピーエンド! で、ええやん!
もしくは、マグニフィコ王を、劇場版「ワンピース レッド」のウタちゃんみたいに、「平和」を求めるがゆえに暴走する。みたいなキャラクターにしても良かったんやで!?
ウタちゃんみたいに王様は歌いながら攻撃して、それに対応してアーシャも歌いながら戦う! みたいなの、考えただけでも、エモいやん!
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なんにしろ、マグニフィコ王の境遇には涙が出る・・・・
でも、ウィッシュの一番の変えるべき点も、マグニフィコ王という・・・・悲しいなぁ・・・・悲しいよ・・・😿
ディズニーは、どうしてこんな作品を100周年という記念すべき年に出してしまったんや・・・。
ポリコレで云々で、才能よりも、肌の(黒)色とかLGBTかとかでスタッフを雇うみたいな感じになっていて、ベテランスタッフが解雇された・・・みたいな裏話しがある・・・らしいが・・・
ポリコレ、平等と叫びながら、才能よりも肌の色や性的思考で人を見るとか、それが差別ではないのか・・・。はぁ・・・ひでぇ世の中になったもんだ。
ポリコレ取り入れても良いんや。ポリコレ入れても面白い作品は面白いし(ポケモンSVとか良い例だと思う)。
ただ、ポリコレで暴走した結果、生まれたのが「ウィッシュ」という作品だということも忘れてはならない。
スターという強大な力を手に入れてしまったせいで、後先考えずに暴走して国を崩壊させたアーシャ・・・もしかしたら、これはディズニーによる自分たちへの皮肉なのかもしれない・・・。
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